一人暮らしは静カニ

一人暮らしを始めると、独り言が増えるとか鼻唄を常に歌うようになるとかよく聞く。

わたしの家の周りはひどく静かで、部屋のなかにいると人の気配はほとんどない。
東京の端の住宅街。
街灯も少ない坂の上のマンションの3階
夜中のベランダは、狭い空にお月さまと2人っきりのステキ空間だ。お酒が飲めれば李白の真似ができたのに、惜しいな。

実家は6人家族。6人も人間がいると、普通に生活していてもまあ賑やかなのだ。
野球のラジオ。テレビゲームの音。食器の触れあう音。自室を片付ける音。誰かを呼ぶ声や話し声。そういう音まみれで育ってきた。
煩わしさは安心感だった。

そんなわたしが静寂に飛び込んだ!なんだか変だぞ。音も声もないぞ。
衝動的にはじめた一人暮らしだし、覚悟が足りなかったのかもしれない。

寂しさに耐えかねたわたしは、ラジオ代わりにYouTubeを流しはじめた。家に帰ると、お笑い芸人やゲーム実況の動画を見るともなしに流しておく。寂しさがすこし和らいだのが嬉しくて、もうすっかり習慣になってしまった。

YouTubeに、たまに思い出を突っつかれる。小学生の頃に熱中したゲームのBGMを聴くと、『小学生の頃に熱中したゲームのBGMを聴いたときにだけ分泌されるホルモン』的なものがあるんじゃないかと思うほど、たまらない気持ちになったりする。

でも思い出なんて当然、そんなハッピーだけじゃない。ある動画で『文化祭とか体育祭とかのイベントには参加するべき!そういうの欠席すると後悔する!』とユーチューバーが言った。その瞬間ガビーン(死語)と思い出してしまった。めっちゃキツかった中学、高校時代。

中学は本当に最悪で、軽いいじめにも遭った。あんまりちゃんと思い出してしまうと動悸息切れ頭痛がしてしまうから差し控えるけど、ノートにブスとかバカとか書かれ、一部の女子からは軽蔑の眼差しを向けられた。怖いんだぞ、女のマジの軽蔑の目って!
自己肯定感がズタボロになる日々だった。

幸い多少は勉強ができたから、わたしをそういうふうに扱う人たちとは別の高校に進学できた。もう安泰かと思いきや、高校は高校で、つらかった。その話は他で書いたから割愛しちゃう。

わたしは文化祭にも体育祭にもまともに参加しなかったけど、後悔どころか思い出しすらしない。クラスのみんなで団結してなにかをやり遂げるよりもすごいこと、学校の外でいっぱい経験した。でも、卒業式の日に保健室で少数精鋭の卒業証書授与式をしてもらったことは、一生の思い出です。

『あのときに戻りたいなぁ』という愛しい時間がない。社会に出てからは、むしろそれで良かったと思う。何歳になっても『あのときは良かった』と遠い目をしている人を見るとちょっとあわれだ。

わたしはいま一番光ってる。一番笑って一番ちゃんと泣いてる。
中学と高校の頃の自分を、よく頑張ったよく負けなかったと誉めちぎりたい。おいしいもの食べさせてあげたい。外には良いものがたくさんあるし、変な人もいっぱいいて必ず認めてくれる人に出会うから、安心して大人になるんだよと言いたい。

多くはないけど自分の稼いだお金でしっかり一人暮らししている。
多くはないけど大好きな友だちもいる。
人類にとって小さな一歩かもしれないが、わたしという一人の人間にとっては偉大な一歩一歩を重ねて、立派に生きている。